山田錦のうんちく、押さえておきましょう
このブログを読んでくださっているみなさん。「山田錦」について語れるうんちくはお持ちでしょうか?
もしお持ちでなかったら、少し時間をいただいてご紹介しましょう。
いわずとしれた酒米の大定番。このコメがなければ日本酒の進化もなかったといえるでしょう。ただ、酒米といってもコメですから国の生産制限がありましたので、いくらでも作れるというわけではありませんでした(なぜ過去形かは最後に)。
そのせいで、山口県のある酒蔵が海外に輸出するため製造を機械化・大量生産するにあたって、山田錦を買い占めていて、周囲の酒蔵が山田錦を手に入れにくくなったという噂が流れました。
それではなぜ、山田錦の争奪戦が行われるのでしょうか?
答えは明白で、1911年から毎年開催されている「全国新酒鑑評会」で最も高い評価である金賞を獲得する製品の大半が「山田錦」を原料としている酒造好適米だからです。
それほどの人気を誇る山田錦は、大正12年に兵庫県立農事試験場(現:兵庫県立農林水産技術総合センター)で山田穂と短稈渡船という酒米を人工交配して作られました。そのコメは産地適正米とされ「山田錦」と名付けられました。
山田錦は兵庫県でその生産量の8割、とくに六甲山地の北側に位置する三木市吉川町や加東市社(やしろ)などの丘陵地帯の棚田で栽培されています。日当たりが よく夏季の昼夜の温度差が大きいこと、土壌が粘土質で水はけが良いことなどが作付けの条件が多く、背丈が高く倒れやすいなどわがままな品種です。
総じて酒米は大粒でたんぱく質が少なく主食用に向かないと言われていますが、山田錦も例にもれず、コメとして食べるにはあまりおいしくないようです。
その三木市、加東市の一部で取れるものは「特A地区産山田錦」とよばれ、もともと値の張る山田錦のなかで最も高い値段がついています。しかし、この「特A地区産山田錦」は、古くからある灘の酒蔵でそのほとんどが使用されていて、新しい蔵が入る余地はなかなかありません。
日本酒の消費量が落ち込んでいた時期も購入を続けてきた老舗蔵ですから、農家の方々もそちらを優先するのは当たり前ですね。
ちなみに特A地区とは、加東市の社町、東条町、三木市の吉川町、口吉川町です。
その特A地区の山田錦を使っている「龍力」はとてもわかりやすい表示となっています。
「龍力」を醸している本田酒造は、元禄時代から杜氏を管理していた家で、大正10年に酒造業を創業しています。こちらで醸す山田錦はすべて特A地区産となっています。ぜひ味わっていただきたいと思います。
そんな需給バランスの悪い山田錦ですが、海外の日本酒ブームのたかまりにつれて、ここ数年ですごい伸びを示している日本酒の輸出に支障をきたさないよう、農水省は2014年度から酒米の増産分を生産調整の対象から外しました。ですが、ただでさえ栽培が難しく、さらに日本酒ブームが去ったときの米余りを危惧する農家の方々が増産に二の足を踏んでいるため、需給のバランスがとれるまでは時間がかかるかもしれません。
その日まで酒好きな私たちは、山田錦だけでなく、さまざまな酒米を愉しむ余裕をもちたいものです。