「酒のラベル」はいつ頃からあったのか?

今回は趣向を変えて、自然と目が行ってしまうラベルについてです。

いったいいつから酒のラベルというものが出来たのでしょうか?

江戸時代にさかのぼれば、自宅でどぶろくなどを作っている人もいたと思いますが、通常は当然のごとく量り売りでした。自宅から持っていったり、店で用意された入れ物に、灘や伏見、はたまた東北から船で運ばれてきた日本酒樽から一合とか四合いくらという具合に升で移していたのだと思います。そのうち店の名前や蔵元の名前が入ったとっくりなどが用意され、さらにガラス瓶の品質の向上と輸送技術が発達したことで瓶詰め清酒が始まったわけです。

ではラベルはどうでしょうか?

1873(明治6)年、ウィーンで万国博覧会が開催され、日本は初参加となりました。その際に出品されたのが、名古屋城のしゃちほこや鎌倉大仏の模型、陶器、竹細工などです。

そこに日本酒も入っていたといわれています。資料がないのでわかりませんが、そこにはラベルが貼られていたのではないでしょうか。もともと日本にはラベルの文化がなかったので、ワインのラベルを模したものだと思われますが、これが最初ではないかと想像されます。

一升瓶の登場

そして1901年(明治34年)に灘の白鶴酒造から一升瓶が登場し、灘・伏見にある大手の酒蔵が瓶詰めの日本酒を販売するようになりました。当時はまだガラス瓶の品質が悪く、直接印刷するのは無理でしたので、藁のようなもので包んで出荷していたようです。そこで銘柄を明示するためのラベルが必要になったと思われます。瓶はリターナブルでしたから、そのことからも紙ラベルのほうが都合がよいはずです。最初は藁に貼っていたのかもしれません。

ちょっと脇道に逸れますが、瓶のリサイクルは今でこそ普通になっていますが、私が子供のころ(40年ちょっと前)は父親が酒屋さんから瓶ビールをケースで購入していましたので、その空き瓶を酒屋さんに持っていくと10円とか20円とかもらえました。サントリー、アサヒ、サッポロの3社が使用しているビール瓶の首のところには「BEER」としか明示されていません。同じデザインにしておけばラベルを張り替えるだけで別銘柄となりますから、リターナブル瓶として、経費と資源の節減を図っているわけです。当時は民度が低かったので(笑)、お金を戻さないと回収がままならなかったのでしょう。

話は戻りまして、伏見の雄、「月桂冠」では1910(明治43)年、瓶にコップが付いていてどこでも飲めるボトルを考案しました。キャップをひっくり返すとそのまま猪口になるもので、「駅売りの酒」として当時の鉄道院で採用され、月桂冠が広く知られるきっかけになったようです。長い旅を彩るものとして売れたのではないでしょうか。月桂冠大倉記念館ではこれを模した清酒「月桂冠レトロボトル 吟醸酒」をお土産用に販売しています。甘口濃厚の酒です。これで少なくとも1910年にはラベルがあったということになりますね。

ということで、ちょっとした歴史を振り返りましたが、一気に現在に飛んで、凝ったデザインのラベルをご紹介したいと思います。

下世話な話ですが、値段が一番高いと思われるのが「新政No.6」です。レインボー箔の面積が大きくて細かい文字。これは箔を張る印刷所も苦労したことでしょう。箔押しは大きさと細かさで値段が変わります。そして、紙が高いラベル。

「花陽浴」は薄いアルミに模様と酒名を抜いた特殊印刷をしています。紙も印刷も高いうえにこれを皴なく貼り付けるのも大変ですね。これも新政に劣らない高さです。

「写楽」はシボが入った特種紙(コピー用紙のような上質紙やチラシに使われているコート紙ではなく、紙の表面に加工が施されているもの)に金の箔押し(本当の金ではありません(笑))の面積が大きいことがポイントです。

「鳳凰美田」水に強い紙の上にシルク印刷をしているものと思われます。シルク印刷は高価です。

「三連星」温度に感応して色が変わるインクを使用しています。もちろん高いですね(笑)

大手酒造会社は大量生産ですので、こんな工夫をしていたら費用がかさんで仕方ありません。ですが、少量生産の酒蔵は一つひとつの商品が勝負ですから、製造意図を表すようなラベルの工夫をしているわけです。ラベル重視の酒選びもまた面白いのではないでしょうか。

さらに、かわいいラベルもたくさんありますので、別の機会にご紹介したいと思います。

 

 

フォローお願いします。